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やまはカンタービレ

大学職員として、英文文書の作成や「ヒト」のパフォーマンスを最大化する仕組みづくりを推進しながら、復業としてブログでの発信や英文法講座などを行っています。アインシュタイン・アプローチを実践しています。人の生き方や個性、心理、性質などに強い関心があり、ブログで学んだことや気づいたことを発信しています。趣味はピアノとDDR(日本191位)です!!

距離感や結婚について思うこと

ごきげんよう。やっとピアノの発表会が終わってほっとしているYAMAHAです。

 

今日は、なぜか朝から「世界観」という言葉が頭から離れませんでした。それで、「世界観」という言葉から思ったことをいつものように書き殴ってみたら、距離感や結婚について思うところがあったので言葉にしてみました。

 

 

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「世界観」について

なぜか起きてすぐに気になってしまった「世界観」という言葉を辞書で引いてみると、

「世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ」(goo国語辞書)

なんて書いてありますが、要は世界はこういうものだっていう見方や解釈のことでしょう。

 

持っている「世界観」が違えば、見えてくる世界も違うものになります。たとえば、マザー・テレサにとっては世界の貧しい人々は救済の対象であるかもしれませんが、スーパーお金持ちで権力を持った資本家からすれば、爆発的人口増加の下での貧困者や労働者は、いつか排除すべき対象に見えているかもしれません。

 

☆私が世界に対して持つイメージ

私は、とにかく人の個性や違いが大好きです。世界中の人々はみなさんそれぞれが多様な個性を持っていて、価値観も全然違うように見えます。

 

そんな私の世界観の1つは、誰もがそれぞれ異なった価値観を持ち、それぞれの価値観が総体となって現在や未来を形づくっている、そんなイメージです。

 

大勢の人と一緒にいるのが好きな人もいれば、1人もしくは1対1でいることを好む人もいる。好きなことをイキイキとやっている人もいれば、生活のためにイヤなことでもがまんしてやっている人もいる。何ごともポジティブに解釈して前向きに生きる人もいれば、何でも否定的に捉えて悲観的に生きる人もいる。

 

本当に様々な人が共存しているので、その中で自分が一緒に過ごして心地よい人と一緒に過ごせばいいと思いますし、合わない人とは少し離れてるくらいの方がお互いに気持ち良く過ごせます。人間関係に居心地の悪さを感じるようになったら、それは距離感が近すぎることが原因の場合が多いです。なので、みんながそれぞれを不快に思わない程度の距離感で調節していける、そんな世界になったらいいなと思います。

 

でも、問題は「適切な距離感がある」という発想がない人があまりに多いことです。みんなそれぞれ全然違う考え方を持っているのだから、ある距離感である人と良い関係を築けていても、他の人と同じ距離感でうまくいくとは限りません。むしろ、うまくいかないことの方が多いです。

 

だから、相手が違えば適切な距離感も違うということを意識して過ごす人が増えれば、世界はもっと快適で住みやすく、人間関係で不快な思いをする機会が減るのになと思ったりするわけです。

 

学校や会社、コミュニティなどを離れたところで愚痴ばかり言っている人の会話が聞こえてくると、残念な気持ちになります。そんなに不快ならもう少し距離を取ればいいのにと思ってしまいます。

 

「距離感」から考える「結婚」

少し恋愛に話はそれますが、恋人同士の時にはすごく仲良しでも、結婚して全然仲良くなくなってしまう人もたくさんいます。朝も夜も、休みの日もずっと一緒にいるような生活をしていれば、話すことも少なくなりますし、距離が近すぎてうっとうしく思うこともあるでしょう。人間、「ちょっと物足りないな」と思うくらいでお別れした方が、次会うのが楽しみになったりするものです

 

夫婦だからって毎日一緒に過ごさなければならないというわけではないと思いますし、場合によっては週末は別行動をするとか、逆に週に1・2回会うとか、そんな程度でもいいでしょうし、日本と東南アジアで離れて暮らしているとか、そういうステレオタイプにとらわれない夫婦のあり方がもっともっと増えて許容されていってほしいと思います。

 

先日は、はあちゅうさんとしみけんさんが「事実婚」を選択したことでネット上では話題になっていました。この事例も、前例にとらわれない先進的な夫婦のあり方として評価されるべきで、このような柔軟な恋愛や結婚がもっと広まっていって欲しいですね。

 

せっかく日本型雇用に象徴されるような「画一性」から人々が解き放たれ始め、「多様性」という考え方が重要視されるようになってきているのですから、夫婦の有り様だってもっともっと多様であっていいと思うわけです。

 

人口が増え続けることを前提としていた社会のように、1つの組織で年齢とともに少しずつ上がっていく収入で家庭を賄い、男性は仕事、女性は家庭という棲み分けはもはや消失しつつあります。産休や育休などを使いながら男女とも同じ組織で継続して働くことのハードルは下がっています。

 

それどころか、「個」が強くなりつつある時代においては、お互いが自立して好きなことに打ち込みながら、必要な時に支え合ったり、会えない時でも相手のことを考えればもっとがんばろうと思えるような関係が、幸せの新たなカタチ(=支合わせ)なのかもしれません。