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やまはカンタービレ

大学職員として、英文文書の作成や「ヒト」のパフォーマンスを最大化する仕組みづくりを推進しながら、復業としてブログでの発信や英文法講座などを行っています。アインシュタイン・アプローチを実践しています。人の生き方や個性、心理、性質などに強い関心があり、ブログで学んだことや気づいたことを発信しています。趣味はピアノとDDR(日本191位)です!!

音楽コンクールのすゝめ【ピティナ・ピアノコンペティション】

 ごきげんようYAMAHAです。今日は音楽のコンクールに行くことの魅力について書きたいと思います。

 

 8/21(火)にサントリーホールで開催されたピティナ・ピアノコンペティションの特級ファイナルを観にいってきました。音楽をやっていた方ならご存知の方も多いと思いますが、日本全国3万人以上の参加者の中からピアノ演奏者の頂点を決める、30年以上続くコンクールです。レベルごとに級が分かれていますが、今回行った特級はいちばん上のレベルです。特級ファイナルは、それまでの予選を勝ち抜いてきた4名による決勝ラウンドです。今回ファイナルに進んだのは以下の4名です。

 

① 角野 隼斗さん(東京大学大学院1年)

 演奏曲「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18」

 

② 古海 行子さん(昭和音楽大学3年)

 演奏曲「ラフマニノフパガニーニの主題による狂詩曲 Op.43」

 

③ 武岡 早紀さん(東京芸術大学4年)

 演奏曲「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番 Op.18」

 

④ 上田 実季さん(東京芸術大学4年)

 演奏曲「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 Op.58」

 

 大学名を見ると、やはり東京芸大強いですね。実は古海さんの在籍する昭和音楽大学も、ピアノアートアカデミーというピアノ演奏家育成事業をやっているので、ピティナの決勝には常連です。東大の方もいらっしゃいますけど、準決勝には名古屋大学医学部の方もいたので、やはりピアノと人間の処理能力とは相関関係にあるのでしょう。

 

  私はこのような本格的なコンクールを観にいったのは初めてでした。開始直後は、自分がピアノを弾くこともあって、技術的なところに目が行きがちでしたし、コンクールの見方もよくわかりませんでした。でも、2人目、3人目と進むにつれて、コンクールの楽しみ方がだんだんわかってきました。

 

 コンクールで最も楽しいと感じたのは、当たり前のことかもしれませんが出場者の方々の「違い」を見出すことです。伝統あるコンクールの決勝ともなれば、皆さん技術的に優れているのはある意味前提条件です。なので、ただ「すげえ!指まわりすぎ!!」みたいに技術的なところにばかり目をやってもそんなに大差はないのではないかと思います。

 

 一方で、このレベルになってくると、自然と違いが際立ってしまうものがあります。それはやはり、音の質や伝わってくるイメージといった感覚に訴えてくる部分です。例えば、同じ部分を弾いていても、「水の流れを感じている」ように聞こえる場合もあれば、「氷の洞窟の中を歩いている」ようなイメージが流れてくる場合もあります。

 

 同じ「ピアノ」というものを演奏しているにもかかわらず、不思議なくらい伝わってくるイメージが違います。今から順番はちょっと変えて、それぞれどんなふうに感じたかを試しに書いてみます。

 

 Aさんの演奏は、「キラキラした宝石のような」演奏でした。音がとってもキラキラしていて、特に高音部はいろいろな種類の宝石が光を放っているようなイメージが頭の中に流れてきました。すごく耳がいいんでしょう。タッチがものすごく耳に心地いいんです。まさしくのだめカンタービレの「のだめ」のようなイメージです。どちらかというとソロの演奏をもっと聞いてみたいなと思いました。リサイタルとかしたら絶対ウケると思います。

 

 Bさんの演奏は、「オーケストラに負けない」演奏に聞こえました。音がすごく力強かっただけではなく、一音一音をとてもクリアに弾き分けているんです。一つひとつの音がそれぞれ独立して俺はここにいるんだー!!って主張しているようなイメージです。

 

 Cさんの演奏は、「楽譜の音符が外に出てきた」ような演奏でした。ピアニッシモやスタッカートの記号がそのまま外に飛び出してきたような印象で、今楽譜はきっとこんな風に表現しているんだろうなとイメージできてしまうほどにいろいろな技術がきっちり弾き分けられていました。ピアノの森に出てくる雨宮修平君のようなイメージです。

 

 そして最後はDさんです。私は、Dさんの演奏が最も好きでした。Dさんの演奏は一言でいえば「Beyond legatissimo」です。演奏する音は、隣の音とどのくらい重なっていたりどのくらい離れているかによってぜんぜん違う印象を与えますが、Dさんの出す音は、隣り合う音同士がまるで恋人であるかのようにくっついていて、まるでひとつのかたまりであるかのように錯覚してしまうほどでした。もはやlegatissimoを超えてしまっています。

 また、私はピアノのやや後方の演奏者の指がとてもよく見える位置から見ていたのですが、彼女の手の動きには全くと言っていいほど無駄がありませんでした。他の方の演奏では、難所を演奏しているときには筋肉が躍動しているのが伝わってくるんですが、彼女の手はその逆で、驚くほど力の入っていないように見え、魚が水の中を泳いだり、鳥が空を飛んだりするのと同じように、ごく自然に鍵盤の上を渡り歩いていました。いや、もはや滑走していました。その動きがあまりにも流麗すぎて見入ってしまい、いつのまにか観客やオーケストラなどが視界から消え、演奏者の動きだけしか視界に入っていなかったという不思議な感覚を味わう体験をしてしまうほどでした。

 さらに、意図的なものかそうでないものかはわかりませんが、ひとつの小節やフレーズなどのかたまりごとにものすごく自然な強弱がついていて、「拍」の間隔を驚くほど鮮明に感じました。Aさんのように一つひとつのキラキラした音が主張するのではなく、一つひとつの「かたまり」の中にストーリーがあるようなイメージです。それがこの上ないほど心地よく感じられました。

 ところが、トレモロになると様相が全く異なります。それまでは音と音との切れ目が全くわからないほど滑らかであったのに、トレモロになった瞬間音の一つひとつが確かな個体となって他の一音一音と全く別の存在として弾き分けられていました。一変して一音一音が自己主張しているようなイメージでした。それまでのlegattisimoを超えた旋律とのコントラストが心地よく、互いの魅力を引き立て合っているように感じました。

 加えて、Dさんの奏でる音はオーケストラの音と音色が近く、それぞれが溶け合っているようにさえ感じました。他の方の演奏は、どこか「オーケストラに負けていない」演奏や、「オーケストラと対峙してもなお際立つ音の粒」といった印象を受けましたが、彼女は全然印象が違いました。完全に私の感覚ですが、低音でも高音でもオーケストラの出す音と調和する音で、オーケストラと一体化して一つの音楽を形成しているように感じられました。

 

 私は、ピアノはまだ全然弾けないので技術的なことはわからないですし、専門家の方々がどのような観点で審査しているのはわかりません。ただひとつ言えることは、私はDさんの演奏が心の底から好きだということです。コンクールを初めて聞きに行ってみて、それぞれの演奏家の演奏に違いを見出そうとしながら聞くことによってはじめて、自分はどのような演奏が好きなのかを感じることができたのだと思います。

 私は、滑らかでフレーズなどが「固まり」としてきれいで一つの物語を持っているような演奏が好きなのかもしれません。そういえば、自分のピアノレッスンのときにも、普通の曲をlegatoに弾こうとしすぎて逆に注意されてましたし。

 

 このように、コンクールに参加するということは、各演奏家の音楽性の「違い」を意識することであり、「違い」を意識することによって自分のがどのような演奏が好きなのかを相対的に感じることができるのです。皆さんも機会があればぜひコンクールを観て、様々な音楽の「違い」とその違いから生じる自分の「感情」を堪能してみてください。