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やまはカンタービレ

大学職員として、英文文書の作成や「ヒト」のパフォーマンスを最大化する仕組みづくりを推進しながら、復業としてブログでの発信や英文法講座などを行っています。アインシュタイン・アプローチを実践しています。人の生き方や個性、心理、性質などに強い関心があり、ブログで学んだことや気づいたことを発信しています。趣味はピアノとDDR(日本191位)です!!

医学部受験で起こった奇跡~センター77%で国公立に合格!?~

ごきげんようYAMAHAです。

 

今日は題名の通り、センター試験77%で国公立大学である鳥〇大学の医学部に合格してしまった生徒の話をしたいと思います。

 

私は昨年度まで、某大手予備校で受験英語を教えながら、医学部クラスの担任をしていました。そして、私が大学受験指導をしていた最後の年に、驚くべき奇跡を目撃してしまったのです。

 

最近は東〇医大の受験差別なんかも問題になっていましたが、そのあたりについても少し記事の中で触れたいと思います。

 

☆加熱する医学部人気

そもそも、医学部受験がどのくらい厳しいのかについてお話ししたいと思います。実は、医学部の難易度は年々上がってきています。

 

グローバル化やIT化など、世の中の変化は年々スピードを増しています。変化が大きいということは、世の中の不確実性が高まっているということです。

 

そんな不確実な世の中では、職業選びも慎重になってしまいます。そんな中でも人気が落ちないどころかうなぎのぼりの職種があります。それが「医師」です。

 

受験業界の多くは、医学部の再受験者たちが支えています。彼ら/彼女らは、様々な動機から、医学部を目指しています。

 

自分の体験から「〇〇という病気を撲滅したい」といった崇高な志を持つようになった人もいれば、「いい暮らしがしたい」、「親がなれと言うから」など、千差万別です。

 

年齢層も様々で、20代前後の人もいれば、30代の人もめずらしくありません。50代を過ぎた方も少なからずいます。

 

☆難易度が高くなりすぎた医学部受験

以上のような背景から、医学部の難易度は落ちるどころか年々高まっていると関係者の間では言われています。

 

国公立大学に行こうと思えば、センター試験で最低85%は欲しいところです。900点換算で765点以上ということです。正直なところ、現在の医学部受験業界においては、85%でも受かる確率は高くありません

 

私も受験指導をしていたころは、「センター試験で85%くらいでは正直バクチになるので、コンスタントに87%くらい、できれば9割とれるような勉強をしてください」と口を酸っぱくして言っていました。

 

なぜこんなことを言うかというと、今までに90%を超えていても医学部に受からなかった人をたくさん見てきたからです。90%を超えたのに医学部に受からない…もはや絶望ですよね…。

 

だから私は、90%以上をとって、満を持してあまり差別のない国公立の中では入りやすい難易度を受験することをオススメしています。

 

☆医学部受験で奇跡を起こした男の物語

そんな厳しい医学部受験において、なんと、センター試験77%で国公立医学部に合格してしまった生徒がいたのです。77%というのは、E判定の中でもぶっちぎりのE判定です。

 

例えるなら、普通の高校球児が大谷投手からホームランを打つくらいすごいことです。歴史的な快挙と言っても差し支えがないくらいのレベルです。

 

そんな奇跡を落とした彼なんですが、いかにして大きなビハインドを乗り越えたのでしょうか。ポイントは、メンタルと出願戦略にあります

 

☆最高のメンタルで向かうことができた本番

彼はお医者さんの家庭で育ちました。そのため、医学部を受験することは必然でした。できれば国公立大学に行きたいけど、経済的には私立大学でも進学できる、そんな状況でした。

 

国公立大学の受験を迎える前に、彼に吉報が届きました。なんと、私立大学の医学部に合格することができたのです。彼はこの時点で「もう、俺の受験は終わった!!」と、もはや安心しきっていました。

 

彼はもうその私大に進学する気満々でした。センター試験は全然点数が足りないため、国公立は無理だと半ばあきらめていました。なので、いい具合に肩の力が抜けていたのです。

 

そして、本番当日を振り返って彼はこう言っていました。「今まで4年間(注:浪人生)学んできた分を出し切ろうっていう気持ちでやってきました。」と。これが最高によかったんでしょうね。

 

プレッシャーやメンタルについてん学んだ方ならご存知だと思いますが、プレッシャーが大きい状況下で最も良いパフォーマンスを発揮できるのは、「挑戦」というマインドになっている時です。

 

プレッシャーからマイナスのプッシュを受けるイメージではなく、プレッシャーに対して自らプッシュしていくイメージと言い換えてもいいです。彼は、自然に「挑戦」マインドで本番を迎えることができたんですね。

 

これが大逆転を生み出した第一の秘訣です。もうひとつの秘訣は、「出願戦略」にあります。

 

☆大逆転を狙う際の出願戦略とは

続いて、出願で逆転を狙う際に大事にしたポイントについてお話ししたいと思います。

 

・例年の受験難易度が高くない

まず、例年の受験難易度があまり高くないところを選ぶ必要があります。同じ医学部でも、東大や阪大などと比べたら、地方国公立大学の方が入りやすいですよね。

 

これと同様に、地方国公立大の中でも、センター試験の目安の点数に1~3%程度の差があります。それは、その学校の歴史(旧六医大である など)であったり、地理的なもの(交通が不便 など)であったりします。

 

・受験差別がない

恐らくこれはスーパー大事なポイントです。最近、東〇医大で受験差別があったと思いますが、医学部受験業界では受験差別があることは半ば常識となっていました

 

受験指導をする側としては、これまでの受験生の実力と結果を照合したり、成績開示の情報を収集したり、大学が公表しているデータなどを見たりしながら、総合的に判断します。

 

フェアな入試をしている大学の例でいえば、島根大学長崎大学などがあります。一方で、明らかに点数のつけ方がおかしい大学もあります。佐〇大学とか鹿〇島大学あたりなんかはそうだと思います。(あくまで私の体感であってみなさん自身で情報を収集してご判断ください)

 

そして、今回出願候補として挙げた鳥〇大学は、過去に受験者がいたわけではありませんでしたが、公表しているデータなどから安全である可能性が高いと判断していました。

 

・受験倍率の変動を予測する

実は、センター試験の得点が十分でない場合には、受験倍率の変動を予測することが出願の際の肝になってきます。もちろん、そんなバクチに頼らない点数をとっていただくのが一番なのですが…。

 

実はこの年、〇取大学は入試科目に変更がありました。それまで英数だけで受験できたのに、そこに理科2科目が追加されたのです。

 

冷静になって考えていただきたいんですが、受験の負担が増えるようなド田舎の大学を好きこのんで受ける人がどれだけいると思いますか??私は山陰出身なので当事者として言えるんですけど、山陰って本当不便ですよ!!新幹線も通ってないし、車ないと満足に移動もできないし…。(山陰や鳥〇大学の方スミマセン)

※補足しておくと、それでも私は長閑な山陰が好きです。

 

なので、絶対に難易度が下がると私は踏んでいました。そして、「その点数だとどこも厳しいからバクチで一発逆転狙うなら〇取大はおもしろいよ」と伝えていました。そして、彼はいくつかの選択肢の中から、バクチをすることを選んだのです。

 

結果的に、倍率はかなり上がりました。でも、それは足切りがない(医学部はほとんどの大学で倍率等で足切りがある)のでセンター試験の点数が足りない人が集まっているだけだから大丈夫だと私は思っていました。その年は、それまで足切りのなかった山口大学足切りをするようになったので、その影響が大きかったのでしょう。

 

☆合格発表は驚きしかなかった

そして彼の合格発表当日、私は昼からの出勤だったので、ゆっくりと出勤しました。そして出勤後の第一報が、彼の「合格」でした。私が「嘘でしょ!?」と、自分で何回も番号を確認したのは言うまでもありません。

 

合格した後の、彼のうれしそうな顔と、信じられずに何回も確認しようとする姿が今でも忘れられません。

 

☆運を味方につける出願を!

厳しさを増す医学部受験においては、「運」も大事な要素であることは間違いありません。それは、今まで受かると思っていた人が落ちたり、受かる可能性がほとんどないと思っていた人が受かったりする姿を見て、強く思ったことです。

 

少しでも「運」を味方につけるために、入試情報など情報収集も勉強の妨げにならない程度に行いましょう。変化のあるところにチャンスありです!!受験指導のプロの意見を聞くことも大切です。そして、日頃の勉強と徳の積み重ねが最も大切であることは言うまでもありません。

 

これから医学部を受験するみなさんのご検討をお祈りします!!

聴衆に「楽しい」と形容される演奏会【THE PIANIST】

ごきげんようYAMAHAです。

 

昨日はみなとみらいホールで行われた「THE PIANIST!」というコンサートにいってきました。あのスーパー日本人ピアニスト・辻井伸行さんが出演するコンサートということで、胸を躍らせながらの参加でした。

 

参加してみての感想は、とにかく「楽しい」コンサートでした。音色がよかったとか、音楽の素晴らしさが感想として聞こえてくるコンサートは多々ありますが、「楽しかった」と形容されるクラシック・コンサートって意外となかなかないのではないでしょうか。今日は、そんなコンサートのお話です。

 

実は今朝、以前記事で紹介した脳の中身をひたすら言葉として排出する「モーニング・ページ」を1万字ほどやってきたんですが、そこで書いた内容がそのまま使えそうだったので、誤字脱字などブログ用にちょっと編集して、改行を入れて書き殴ったままの内容でお送りします。口調もいつもと全然違いますがあしからず笑。

 

桜木町に降り立ってみて

昨日は辻井伸行さんやファジル・サイ氏の出演する「THE PIANIST」を見に行ってきた。会場はみなとみらいホールだった。乗り換えが面倒だったので桜木町で降りた。桜木町もみなとみらいも高層ビルが立ち並び、きちっと区画整理されていて、洗練された印象を受けた。でも、悪い感じはしなかった。

 

動く歩道で割と長い距離歩くことができたのはすごいと思った。デパートも、なんだかきっちり四角い空間の中にいて、今までに味わったことのないような感覚だった。なんだかヨーロッパの建物の中にいるような印象かもしれない。行ったことないけど。

 

終わった後も桜木町駅に向かったけど、意外とゴミゴミしすぎているわけでもなく、落ち着いた雰囲気でよかった。さすが、横浜はまだまだ勢いがあると感じた。川崎や横浜で自分を仕事にして生きていければ、この先もまだまだパイはあるだろう。

 

☆インターナショナルピアニスト、ファジル・サイ氏の演奏

コンサートの内容であるが、まずはファイジル・サイ氏。何が違うって、聞いてる方は次々と頭の中のイメージが切り替わるんだよ。あ、今はこんな印象。あ、今はこんな空間にいるな、てな感じで。

 

音楽教室の先生には、(ザナルカンドにての練習中に)ラミミレドやシファファレシで曲調が変わるんだからちゃんと弾きわけなさいと言われた。それを極限まで極めたらあんな感じになるんだろうという印象だった。

 

果たしてあんな風に自分が弾けるようになるのだろうか。どうやったら、どう考えたらあんな風に曲調の変化を弾き分けることができるんだろうか。知りたいけど、それは自分で試行錯誤しながら見つけ出していくものだと思うから、きちんと意識して見つけ出していきたい。ちょうど1週間後が発表会だからそれまでに意識すべきことのひとつと言えるかもしれない

 

そのあと、ファジル・サイ氏は「パガニーニの主題による狂詩曲」のメロディで始まる曲を弾き始めた。もうあれはラフマニノフパガニーニというよりも、彼の「パガニーニ風」と呼ぶべきものであった。

 

多分メロディも違っているんだろうけど、全然伝わってくるイメージが違うんだよね。なんかもうね、すごく楽しそうなの。そんでもってすごいのが、コンクールとかで課題になるくらい難しい曲のはずなのに、まるで子どもが遊んでいるように簡単に弾いちゃうんだよね。あれ、パガニーニって簡単だったっけ?みたいな。もうね、達人すぎて意味わかんなかった。どんだけ弾いたら自分もあんな極地に至れるのかわからないし、さすがに無理だと思う。

 

あ、あとはピアノの弦を押さえて、バイオリンのような弦楽器のように演奏していた部分があって印象的だった。音の印象が全然違うから、新鮮だった。そうだよね、弦だって体だって、なんだって楽器になり得るよね。本当に自分の求める作品を作ろうと思ったら、ステレオタイプなんてつき破っちゃったんだろうね。

 

日本が誇る至高のピアニスト、辻井伸行さん登場

続いては、辻井伸行さん。あまりに有名なのでもはや説明の必要もないだろう。自作曲を中心にいろいろ演奏してくれた。以前も感じたことだけど、やはり音が耳に心地よすぎる。彼の音は素晴らしすぎて、空間を支配している。他の聴衆がモノに見えてしまうくらいの力を持っている。心地よすぎて気を貼ってないと眠くなってしまうのが副作用だけど笑。

 

そして、自作曲の「トスカーナの朝?」みたいな感じの曲がものすごくよかった。窓を開けたら素晴らしい風が入ってきて、小鳥たちの鳴き声が心地よかったみたいにおっしゃっていたけど、自分そんなの感じたことないですから!!笑 自分とは感じている世界が違うんだなーって感じた。感性って大事。

 

まずは、感じる力。トスカーナで窓を開けて風や鳥の鳴き声を感じても、普通の人は何も感じない。それを、あれだけのイメージとして感じることのできる感受性の素晴らしさよ。

 

あとは、アウトプット。人間って工場みたいなもので、イメージでもものでも何かを投入すると何かしらが生まれてくる。でも、彼はトスカーナの朝の風景が入ってきただけで、頭の中にイメージを感じるだけでなくそれを聴衆を感動させる曲として外に出すことができる。

 

アウトプットっていうのは、それまでに自分の中に築き上げていった回路からつくりあげられるから、相当素晴らしい回路をつくりあげてきたんだろう。家庭用トースターと、巨大なパン製造機との違いくらいある。

 

しかも、その音楽が本当に心地いいの。本当に清々しい朝が訪れて、これから1日が始まるんだ、自分の手で素晴らしい一日にしてやるぞ、みたいな、そんな場面がありありと心の中に浮かんできた。あんな風に感じたことを音として表現できるように、将来的には楽典だけでなく和声などいろいろ勉強して、作曲の技法を身につけたいと思った。いや、それは常々思っていることだ。

 

あと、最後に辻井さんはチョピン(ショパンのことです笑)の革命を演奏してくれた。あんな難しい曲を、さらに高速で弾いていた。普通に演奏されるスピードの、1.4倍くらいのスピードはあったんじゃなかろうか。それを、また子どもの遊びのように難なく弾いてしまうんだから本当にこの人たちは恐ろしいよ。どんだけ弾き込んだらあそこまで到達できるのか、想像もできないな。

 

最後は兄弟デュエット、レ・フレール

そして、最後はレ・フレールレ・フレールはフランス語で兄弟という意味らしい。兄弟2人で4本の腕を使って演奏するという。

 

使うピアノも、一般的な88鍵よりも数の多い、97鍵だという。

 

そして、出てきて演奏が始まる。腕を4本使っているだから、単純に4つの旋律が奏でられているはずなのだが、それらがひとつとして互いを邪魔することなく、調和していた。美しかった。

 

メロディも素晴らしく、退屈な部分がほとんどなかったのがよかったと思う。綺麗事を抜きにすれば、クラシックの大作は素晴らしいメロディに圧倒される箇所もあれば、少し冗長で退屈だと感じる部分があるのも事実である。曲が長くないからというのもあるかもしれないが、そういった退屈な部分がなく、心地よいキャッチーなメロディを、知らない曲であるにもかかわらず純粋に楽しむことができた。

 

続いては、弟さんのソロ。これは、ブギウギをテーマに作曲されたものであり、ブギウギの様々なメロディが詰め込んであるとのことだった。

 

実際に始まってみると、ブギウギの曲調の素晴らしさにひきこまれっぱなしだった。こんなに聞いていて楽しいジャンルだったとは。それとも、この方が飽きのこない素晴らしいブギウギ曲を作り出しているのかもしれないが。

 

FF6の、居酒屋?かなんかの曲に似ていたように思う。おそらくあの曲がブギウギ調で作られているのだろう。

 

続いては、お兄さんのソロ演奏。お兄さんは、福祉施設などでの演奏を通じて、施設にいる方々の生活を応援する活動を行っているとのこと。

 

実際に演奏された曲は「花」という言葉が入っている、やさしい曲調。お兄さんの人柄がにじみ出ているのだろう、心にじんわりと染み渡ってくるような穏やかながらも強い意志を持ったメロディ。これも、わかりやすい旋律で飽きがこなくて、最後まで堪能することができた。

 

うれしかったのは、この次はミではじまりそうだとか、曲を少し先読みできるようになってきていることである。ソルフェージュをしている効果でもあるだろうし、ソルフェージュの先生からそういう視点を与えてもらっているからでもあろう。

 

次はこんな感じかなと予想しながら聞くことは、予想通りいったらうれしいし、予想通りじゃなかったらこういう持って生き方もあるのか勉強になるから効果的だと思った。気持ちに余裕があるときにはこれからも取り入れていきたいと思った。

 

そして、また連弾に戻った。「挑戦」みたいなタイトルの曲を弾いてくれた。落ち込むこと、苦しいこともあるけれどもこれから向かっていくぞっていう思い、そんな情景が伝わってくる素晴らしい演奏だった。

 

相変わらずお互いの音を全く妨げないんだから、驚くばかりである。知らない曲ばかりだったけど、メロディが親しみやすく心地いいものばかりだったから、終始堪能することができた。

 

うれしい「ピアノ・トリオ」のおまけまで

そして、最後はなんとレ・フレール兄弟が辻井伸行さんを連れて3人で登場した。もうこの時点で盛り上がりが頂点に。沸き立つ観客。

 

そんな中始まる辻井伸行さんのソロ演奏。そしてしれっと低音部に参加する弟さん、さりげなく高音部に入り込むお兄さん。なんと、1台のピアノで3人で連弾を始めたのである。

 

最高潮に盛り上がる観客、すばらしいメロディ。そしてフィニッシュ。今日一番の盛大な拍手。出演者と観客が一体となって、「楽しい」気持ちが溢れ出る雰囲気をつくり出していた。

 

みんな、興奮しながらも体の力が抜けて、心の底から目の前の音楽とスタイルを楽しんでいた。普通なら、コンサートが終わった後には「すごい良かった」「音が素晴らしかった」と話す人が多いが、今日はみなさん口々に「楽しかった」と言っていた。

 

正直あのレベルになると音や演奏が素晴らしいのは当たり前くらいの感じだが、今日の演奏はそれに加えて心からの「楽しさ」をプレゼントしてくれた

 

その立役者であるレ・フレールの今後の活躍には、目が離せない。こういう演奏会だったらまた行きたいと心から思った。

 

 

他に参加した方がご覧になってくださることがあれば、どんな風に感じたのか共有していただけるとうれしいです。

何かを手にするためにあなたが「やらないこと」は何ですか?

 ごきげんよう。記事を通してみなさんと一緒に成長していきたいYAMAHAです。

 

 前回の記事で、「自分の時間」をつくりだすためには、「捨てるもの」を決める必要があるという話をしました。時間など、欲しいものを手に入れるために何を差し出すのかと言いかえてもいいかもしれませんね。

 

 今日は、私が「自分の時間」を手に入れるためにやらないと決めていることをピックアップして、それぞれどのような考えでやらないのかを書いていきたいと思います。

 

 また、私がやらないと決めていることをみなさんにシェアするだけでなく、みなさんが「何をやめているのか」、もしくは何かを手に入れるために「これから何をやめるのか」教えていただけたらすごくうれしいです。

 

私がやらないと決めていること

 では、いよいよ私がほしい未来を手に入れるため、そして目の前のことに打ち込むために何をやめることにしているかをひとつずつ書いていきたいと思います。

 

●自炊

 私は、自炊を全然しません。もはや食器や調理器具など全部捨ててしまっても何も不自由を感じないかもしれません。

 

 だからと言って、料理が、全くできないわけではありません。チーズオムライスや肉じゃが、サバの味噌煮など人並みのものは以前は好んでつくっていました。でも、別に料理をすることが好きなわけでもないので、やらないことに決めたんです。

 

 家でご飯をつくろうとすると、料理をつくる時間だけでなく、買い物をする時間や後片付けをする時間が発生してしまいます。これは私にとっては大きなロスなんです。トータルでどれだけ時間を消費してしまうことか…考えただけでも恐ロシア…。

 

 基本的には何かを買って食べるか、外食で済ませます。ちょっと割高に思えるかもしれませんが、一人暮らしだとそこまで大きく変わらないと思いますし、時間をつくるための自分への投資だと考えるようにしています。ちなみに、栄養が偏らないようにとにかく何でもサラダセットにして、ご飯は少なめにします笑。

 

●友人や職場の仲間とダラダラ過ごすこと

 私は、予定しているもの以外は割とお付き合いを断ることがあります。「今日はこれがやりたい」というものが割と明確にあるので、計画が狂ってしまうのがイヤなんです。これは、以前書いた「素質論」の3タイプの中の「自分のペースを大事にする人」によく見られる性質のようです。

 

 もちろん、楽しみも必要なので友人たちと出かけることもありますが、その場合はあらかじめ出かけるのをスケジュールとして組み込んでおきます。そうしておくと、今週は出かけるから今日はもうちょっとがんばっておこうとか、調整がききます。

 

 それでも、なかなか会えない人との予定以外は、割と時間を区切るようにしています。あまりダラダラと話していても惰性になってしまいますし、もうちょっと話したかったなと思うくらいでお別れしたほうが次会うのが楽しみになったりもします。

 

●ムダな残業

 残業をしていたら、自分の時間がどんどん削られてしまいます。もちろん残業代が出るという旨味もあるかもしれませんが、それをあてにした生活設計はあまりよろしくないと思います。

 

 かくいう私も前職では割と(月30〜40時間くらい)残業をしていました。仕事量が多かったのでしょうがない部分はありましたが…。ただ、あまり残業をしていない月は、次回の給料が少し心配になったりするのもまた事実でした。今思えばちょっとダラダラやっていた部分もあったと思います。

 

 なので、残業をしなくても精神衛生を保てるよう、転職活動では基本給を上げることも大事な基準にしていました。残業代で稼ぐよりも、生み出した時間を自分への投資にあてて、将来のキャッシュフローを増やすようにしたほうがはるかに有意義だと私は思っています。

 

 実際に基本給が5万円ほど上がったので、今月本当に残業0時間でしたが、あまり財布の心配をしていないので精神衛生上とてもいいです。英語勉強しといて本当によかったと思っています笑。

 

●長時間通勤

 通勤時間は、読書などをすることもできますが、自由度の低い時間です。そのため、電車に乗っている時間や駅まで歩く時間が長くならないことは、住まいを探す上で最重要事項でした。

 

 結果的に徒歩+電車で20分くらいで、34,000円の物件を借りて住んでいます。たぶん私の住んでいる地域は5〜6万円代くらいが普通だと思われるので、だいぶ破格です笑。ちょっとボロいですが、基本的に家ではネットするか寝るだけなので、私にとってはあまり問題ではありません笑。

 

●テレビなどの受動的娯楽

 テレビなどの娯楽にはほとんど時間を費やしません。そもそも、引っ越してからテレビを箱から出していません。娯楽は、新刊のマンガをちょこっと読んだり、寝る前にほんのちょっと動画を見たりするくらいにとどめています。

 

 ただ、YouTubeはオススメ動画とか、視聴者を動画にくぎづけにする仕組みが発達しすぎているので、意識してストップをかけるようにしないと、大量に時間を浪費してしまいます。

 

 SNS上のおもしろい人のコメントや、リンクされているまとめサイトなど、意識して歯止めをかけないといくらでもネットサーフィンしてしまうので、気をつけたいところです。

 

みなさんが「やらないこと」は何ですか?

 ぱっと思い浮かぶのはこんなところでしょうか。私がやっていることが誰にでも合うとは限りませんし、逆にみなさんが実践していることが私に合うとも限りません。

 

 「やらないこと」は、自分の性格や価値観と相談し、実践して見直しながら自分ならではのリストをつくり上げていくものです。もっと自分の時間を増やしたいと思っている方は、今いちど何をやらないか自分と向き合ってリストアップしてみてはいかがでしょうか。

 

 また、みなさん独自の「やらないこと」があればぜひ教えてください。みなさんと情報をシェアできるのを楽しみにしています(´・ω・`)♪

「自分の時間」のつくり方

 ごきげんよう。みなさんのポジティブな変化が生まれるブログを書けるようになりたいYAMAHAです。

 

 今日のテーマは「"自分の時間"のつくり方」です。

 

☆「やりたい」のに続かないこと、ないですか?

 今のお仕事が好きでスキルアップのために学びたい方や、もっと違う人生を求めて自分の好きなことしたい方など、様々な理由から仕事以外で「自分の時間」をつくりたいと考えている方はたくさんいると思います。最近だとやはり英語をやりたいという方は多いですね。

 

 やりたいことがあって「よし、明日からやるぞ」って決意するのに、結局あまり時間を確保できず継続できなかった経験はありませんか??私はたくさんありました…。

 

☆「やる気」があっても続かない!?

 たくさん失敗して、ちゃんと「自分の時間」を継続的に確保できている今だから言えるんですけど、「やる気」だけに頼っていたらほぼ必ずと言っていいほど失敗します

 

 じゃあどうすればいいのか。その秘訣は「仕組化」にあります。別の言葉で表現するとすれば、「習慣の力を借りる」ということです。

 

 とまあ、こんなことは自己啓発本とか見ればいくらでも書いてあることなので「わかってるよそんなの」って思う人も多いかもしれません。なので、今日は自分が具体的にどのようにして「自分の時間を確保する習慣」をつくっているのかを書きたいと思います。

 

☆1日2時間英語をして希望のポジションを手に入れた前職

 例えば、前職時代、それこそ英語を毎日2時間くらいは勉強した時期がありました。私の場合 家に帰ると絶対何もせずダラダラしてしまうので、まずやったことは、「終業後は会社の休憩室で勉強する」ということでした。自分の性格上、家の外でなら割と集中できるので、家以外の学習場所を確保したのです。自分の性格と向き合ってそれに合った習慣づくりを考えることは割と重要です。これで1時間ちょいくらいは勉強できるようになりました。

 

 でも、英語の勉強ばかりしていたら眠くなるし、ダイエットもしたいし…。こんな悩みが出てきました。その時の解決策は、「歩いて帰りながら英語を聞いてそれを音読する」というものでした。これなら眠くなりません。体型の維持にも役に立ちます。また、英文の意味を把握してやりっぱなしにするのではなく、音読することで自分が理解したものを「出す」ようになったのも効果テキメンでした。

 

 この時は「英語学習」×「ダイエット」という2つの動機が重なっていたので、継続することはむずかしくなかったです。このように、複数の動機が重なるほど、ものごとを継続するのは容易になります。

 

 家まで歩いて帰るのに1時間10分ちょっとくらい。これで合計2時間を確保することができました。たぶん半年くらいは継続したので、目指していた「英語講師」のポジションをゲットすることができました!!

 

 以上のように、1日 1~2時間くらいであれば、自分の習慣を見直してやりたいことを毎日のルーティーン(=日常)の中に組み込むだけで確保することができます。そして次は、さらなる時間を確保したい方向けになります。

 

☆最近は 1日 3~5時間確保できるようになった

 そこからさらに進んで、今はピアノを弾いたりブログを書いたりソルフェージュをしたりと、平日で3~5時間、休日で6~8時間くらいは「自分の時間」を確保できるようになりました。その秘訣の1つは、上に書いた「習慣化」です。それをさらに進化させたバージョンです。

 

 どのような習慣をつくり、どのような過ごし方をすれば4時間程度の「自分の時間」を生み出すことができるのか、時系列で見ていきたいと思います。

 

☆仕事に行く前の約1時間半

 まず、朝は4時半から5時くらいの間で起床します。そして、身だしなみなどを整えた後に残った時間で1時間くらいブログを書いたりピアノを弾いたりします。家でも、意外と朝ならちゃんと机に向かうことができたりします

 

 続いて、満員電車を避けるため、ちょっと早めの電車に乗って会社の最寄り駅に行きます。通勤時間も大事な時間です。読みたい本があれば行き帰りの電車の中で読みます。往復でだいたい25分くらいは読めます。

 

 駅に着くと、近くのカフェに入って先日記事にした「モーニング・ページ」に取り組みます。軽い朝食を済ませて、そのあと30分くらいは集中して書き続けます。

 

 カフェを出るといよいよ仕事です。ちゃんと8時間働いていますが、どんなに仕事量が多い時でも「絶対定時に帰ってやる」という意思を持って集中して仕事を終わらせるのは意外と大事なポイントです。 

 

☆ 仕事が終わってからの3時間は環境が大事

 仕事が終わると、会社から歩いて5分くらいのところにある練習室を借りて、ピアノやボイトレ、ソルフェージュなど音楽系のやりたいことに打ち込みます。仕事が終わると疲れていて、家に帰ると絶対できないので、帰り道に気楽に寄れる場所をつくることが何よりも重要です。自分がやれる環境に身をおけば、もう勝ったも同然です。6時前について、最長で9時までできるので、だいたいここで2〜3時間 音楽に没頭します。

 

 音楽が終わって、家に帰ってしまうと動画を見たり寝てしまったりして、ほとんど何もしないことが多いです。なので、帰る前に最後の追い込みをかけます。練習室から出たら電車で自宅の最寄り駅まで帰り、駅構内にあるカフェに入ります。カフェでは、本を読んでインプットをすることもありますし、最近は時間が許す限りブログの文章を打ち込むことが多いです。これで最後に1時間程度確保できます。

 

 このように、朝カフェや夜の練習室などを利用して、最近は1日でだいたい4時間ちょっと活動することが多いです。ただ、3時間を超えてくると、習慣の力を利用するだけではむずかしくなってきます。睡眠時間を削ればいけるかもしれませんが、長続きせず、健康にも好ましくありません。

 

☆3時間越えには、もうひとつのコツがあった

 実は3〜5時間くらいの「自分の時間」を確保するためにはもうひとつ大事なことがあります。それは、やらないことを決めることです。自分は何を捨てるのかを決める作業と言い換えてもいいかもしれませんね。

 

 参考までに、私が捨てると決めているものを簡単に列挙してみます。自炊や友人や職場の仲間とダラダラ過ごすこと、ムダな残業、長時間通勤、テレビなどの受動的娯楽 などがあります。これについては、長くなりそうなので次回別記事として書きたいと思います。

 

 やりたいことも全部やって、やるべきことも全部やって、生活のことも全てやるなんて言うのは、ほぼ不可能に近い話です。それがすでにできている人には、こんな記事は必要ありません。

 

 捨てるものに関しては、人によって違いが大きい部分です。人それぞれ価値観が異なるので、捨てられるものも人によって千差万別だと思います。ただ、それぞれが自分と向き合って何をやらないか決めるのは、大事な作業です。「習慣化」とセットでぜひ意識してやってみてください。

 

☆「自分の時間」づくりのまとめ

 最後に、私のこれまでの体感でのお話になりますが、「自分の時間」に関して私からみなさんにメッセージを送ってしめくくりたいと思います・

  • 自分の時間を毎日30分つくると、ちょっとだけ違う自分になれます。
  • 自分の時間を毎日1~2時間つくると、何か自分の中で秀でたものができます。
  • 自分の時間を毎日3~5時間つくると、新しい世界が見えてきます。
  • 自分の時間を毎日6時間以上つくると、もはや別人です。あなたは「好き」を人生にしていると言っていいでしょう。(私もまだ未知の世界です!)

 

 そして、「自分の時間」を生み出すために、

  1. 習慣の力を借りましょう。
  2. 自分が何を捨てるかを決めましょう。

 

 みなさんが時間の面で豊かになることを心から願っています。

ブログを通じて実現したいこと【コンセプト】

 ごきげんよう。人に「ポジティブな変化」を起こすのがライフワークのYAMAHAです。

 
 今日は、ブログに込めた思いをみなさんに知っていただければと思います。
 
 私がブログの記事を書くことで目指していきたいことは、読み手に「ポジティブな変化」をもたらすことです。みなさんが、かかえている課題を乗り越えたり、踏み出せないで居る一歩が踏み出せたりするそんな記事を書きたいと思っています。
 

☆最初はコンセプトがしぼり切れなかった

 私がブログを始めたのは5月でしたが、最初はどんなコンセプトにするかしぼることができませんでした。ピアノの演奏が上達する過程で気づいたことや 英語学習のコツ、キャリアや人生について気づいたことなど、書きたいと思うことがいっぱいあったんです。
 
 そのまま見切り発車でとりあえず始めたんですけど、テーマがしぼれていない葛藤があり、また、一つひとつ超大作(分量的に)を書こうとしすぎて、数記事で書くのをやめてしまいました。
 
 それから数か月、心のどこかでは「書かなきゃ…」と思ってたんですけど、一度やめてしまった習慣というのはなかなか元に戻すことができません。そのままずるずると2か月以上が経過してしまいました。
 

☆再びブログに戻ってくることができた理由

 そんな継続性のない私が、ブログに戻ってこれたのは理由があります。私のブログによく登場する、ボイストレーナーの菱沼先生に発破をかけていただいたからでした。「本とか読むなら1行でもいいからどっかに書いて方がいいよ!できれば発信した方がいいね~。」「たった3行でも、難しいなら一言でもいいからアウトプットすることが大事だよ。」おっしゃる通りでございます。
 
 ちょうどたくさん読んだ本があるのに、それを言葉にしていなくてもったいないなと強く感じていました。また、その時には先日の記事でもご紹介した「モーニング・ページ」という自分の脳内を言葉として大量に排出するアクティビティーに取り組むようになっていたので、ちょうどアウトプットを続けることの威力を実感しているところでした。先生に出会って、その時に心に刺さるピンポイントな言葉をいただく…まさにシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)ですね。
 

☆不完全でもいいから続けることの大事さ

 先生の言葉で火がついた私は、「よし、20分で1記事書きあげるぞ!」という気持ちでブログに再び取りかかりました。結果的には、30分で書き上げることができました。以前は1記事に2時間以上もかけていたので、今思うとそりゃあ続かないよ…って思います笑。
 
 しかも、30分で書いた割には分量がそこそこあって、内容も言いたいことは8割くらいは伝えられた気がします。1つの記事に時間をかけすぎて、更新が追い付かずに続かないくらいだったら、言いたいことの8割くらいしか言えてなくても、短時間で更新を「続けていく」ことの方がはるかに大事だということを学びました。続けていくと、だんだん「このくらいの時間でこのくらいの分量書くのが自分にはちょうどいい」というのがわかってきます。
 
 これはブログに限った話ではないと思います。何かを続けようと思ったら、最初から完璧なアウトプットを目指し続けるのではなく、不完全でもアウトプットを「出し続ける」ことの方がはるかに大事でしょう。アウトプットを継続していたら、質はあとからついてきます。
 

☆書き続けていたら、自分の「書きたいこと」がだんだん見えてきた

 そんな感じでブログを続けているうちに、だんだんと自分が書きたいと思っていることの「核」の部分(=コンセプト)が見えてきました。それは、現状と理想のギャップがあって、そのギャップを乗り越えるためのコツや秘訣、考え方といったものでした。私は何かに打ち込んでいて、その過程で壁を乗り越えるコツや考え方を自分で見つけ出して、それを抽象化することが大好きなんです。オン・オフに関係なく四六時中目の前のことから何か抽象化できないか考えています。
 
 私がコツや考え方を見出そうとするのは、「ピアノの音を良くする方法」や「テニスの体重移動をスムーズにする方法」といった特定の分野に関するものから、「毎日自分の時間を確保する方法」といった広く様々な分野に適用できるものまで、多岐にわたります。だからこそ、テーマを一つにしぼることができなかったんですね。
 

☆「コツ」や「考え方」を伝えて変わっていく人を見るのがたまらなく好きなんです

 コツや考え方を見つけることが好きと書きましたが、私が好きなのことはそれだけではありません。選択に悩んでいる人や壁にぶち当たっている人が、私と話したことで何かに気づいて、前進していく姿を見るのが本当に大好きなんです。
 
 高校時代には勉強を教えた人が、その教科のコツをつかんで自分の希望の進路に進めて喜んでいる姿を見たのが始まりだったかもしれません。
 
 大学時代には、「聴く」ことの素晴らしさに目覚めました。その後、これまでに「キャリア・カウンセリング」や「コーチング」、「認知心理学」など、聴くことに焦点を当てた本を読み漁り、実生活でも「傾聴」で相手の考えを整理する手助けをすることには人一倍こだわりを持っています。
 
 ありがたいことに、仲のいい友人たちは人生の転機などのふとした時に、突然連絡をくれたりします。そして、迷える友人たちの相談を受けると、「絶対この人のがより良い選択ができるよう全力で寄り添おう」と、無駄にやる気が出ます笑。そして、相談してよかった、やる気が出た、後押ししてもらえた、決心できた と言ってもらえると自分も心の底からうれしくなります。相手が自分の奥底にしまっている気持ちに気づいて涙があふれてしまうことさえあります。
 
 人の可能性を広げることが本当に大好きで、ブログでも結局やりたいことは同じなんだなって気づきました。自分が言葉を発信することで、1人でも多くの人のやる気を引き出したり、一歩踏み出す手助けができれば、これほどうれしいことはありません
 
 なので、これからも継続的に自分が気づいたことをみなさんに共有することで、みなさんにポジティブな変化を起こせるよう精進していきたいと思います。
 

☆同じようなブログと何が違うのか

 もちろん、私の書く内容が、ブログの先輩方や偉大な作家の方々が作品に書いている内容と重複する部分も多いと思います。どこかで見たことがある言葉だと感じる内容かもしれません。ただ、自分なりの具体例や思考のプロセスを交えることや、読みやすいストーリーを構成することで、自分ならではの記事を作り上げていきたいと思います。
 
 読者のみなさんが身近に感じられ、ちょっと行動を起こしてみようかな、考え方を変えてみようかなと思ってもらえるような内容を継続的に書けるようになることが目標です。ご意見や反論等あればお気軽にコメントください!!

ピアノの音色を良くするには

 ごきげんようYAMAHAです。

 

 今日はピアノの音色を良くするための1つの視点を書きたいと思います。音が割れてしまったり、イマイチ弦を響かせられなかったりする人の処方箋になれば幸いです。

 

 私は音楽教室でピアノを習っていますが、ある時レッスンで「音が割れている。耳障りな音だ。」と、1レッスンまるまる音の質を1音1音確認していくという苦痛この上ない作業をやったことがあります。今だから言えますが、苦しすぎて音をよくしろと言われて簡単に改善できたら苦労しねーよ! と投げやりな気持ちになってしまっていました。

 

 でも1冊の本からヒントを得たことで、音色が急によくなり、レッスンで音質についてうるさく言われることもなくなりました。その秘訣は、一言でいうなら「鍵盤の深さを意識する」ということです。

 

 そもそも、なぜ割れるような音を出すように至ったかについて触れておきます。ピアノを始めてすぐの頃には、運指の練習として定評のある「ハノンピアノ教本」を何度も反復していました。その際に先生から、後で弱くする分には難しくないからフォルテッシモくらい強く弾いておくと効果が出やすいと言われていたため、しっかり音を出そうという意識を持って練習していました。

 

 ところが、音を強く出そうとしすぎた結果、手を振り上げて鍵盤に向かって振り下ろしてしまうようになっていました。さらには、鍵盤の深さに見合わないほど深く深くまで到達しそうなほど指をたたきつけていました。そのため、ハンマーは弦をこれでもかというくらい力を込めてたたいていたのです。

 

 とにかくもっと優しくて心地よい音を出せるようになりたい一心で本屋さんに行ってみると、ピアノ表現の細かな「コツ」がたくさん載っている本に出会いました。国立音楽大学を卒業した後にピアノ指導者として活躍なさっている、中嶋恵美子さんの「知っておきたい!ピアノ表現27のコツ」という本でした。非常に明快かつ噛み砕いた説明で感覚的にピンと来たため、即買いしました。

 

 この本は、「求めているピアノ表現を実現するためにはどのような意識を持てばいいのか」をわかりやすく説明した本です。粗っぽく聞き苦しい音を改善するためのヒントは、「②余韻をコントロールする」という箇所に載っていました。以下は、本文より抜粋です。

 

みなさんは、鍵盤の深さを測ったことがありますか? 私の生徒さんがお父さんと連弾をした時のことです。お父さんはピアノ初心者だったので、親子で合わせる前に個人レッスンをすることになりました。ところが、お父さんの腕はガチンゴチン! 鍵盤をガンッと勢いよく押し下げるため、ものすごい音がします。そこで、

「お父さんは鍵盤に20センチもの深さがあるように弾いているけれど、鍵盤の深さって思いのほか浅いんですよ。鍵盤の深さがどれくらいあるのかを測ってみましょう。」

と、目の前で鍵盤の深さを測って見せることにしました。その後、右下のイラストのように定規に指を当てて、鍵盤の深さの分だけ指を動かしてもらったのですが、お父さんのタッチはその場でよくなり、以降「ガンッ」と耳をつんざくような音はしなくなりました。

            ――― 中嶋 恵美子「知っておきたい!ピアノ表現27のコツ」(音楽之友社)より

 

 もうまさに目からうろこでした。それまでの自分は、弱く弾こうという意識だけは持っていたんですけど、根本的な解決策が全く見えず途方にくれていました。しかし、この本をヒントに「鍵盤の深さ」を意識するようになったところ、音質が一気によくなり、気持ちよく演奏できるようになりました。

 

 以前は動画で自分の演奏を見返すと音がすごく割れていて、「携帯でとるとこんなものか」なんてカメラの性能のせいにしたりしていましたが、最近の演奏と聞き比べてみるともう全く別の演奏です。今なら先生が口を酸っぱくしていた理由もわかります(笑)

 

 私たちピアノ演奏者は、鍵盤の"たった10ミリの間隔"だけでピアノの音色や強弱、余韻などをコントロールしないといけないんですね。鍵盤の深さをきちんと踏まえて、今自分はどんな風に鍵盤をたたいているのか意識してみるだけで全然音色が変わります。

 

 自分がイメージしているような音が出せず苦しんでいる方は、是非「たった10ミリの鍵盤で音色をコントロールする」ということをイメージしてみると、世界が変わるかもしれません。

 

音楽コンクールのすゝめ【ピティナ・ピアノコンペティション】

 ごきげんようYAMAHAです。今日は音楽のコンクールに行くことの魅力について書きたいと思います。

 

 8/21(火)にサントリーホールで開催されたピティナ・ピアノコンペティションの特級ファイナルを観にいってきました。音楽をやっていた方ならご存知の方も多いと思いますが、日本全国3万人以上の参加者の中からピアノ演奏者の頂点を決める、30年以上続くコンクールです。レベルごとに級が分かれていますが、今回行った特級はいちばん上のレベルです。特級ファイナルは、それまでの予選を勝ち抜いてきた4名による決勝ラウンドです。今回ファイナルに進んだのは以下の4名です。

 

① 角野 隼斗さん(東京大学大学院1年)

 演奏曲「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18」

 

② 古海 行子さん(昭和音楽大学3年)

 演奏曲「ラフマニノフパガニーニの主題による狂詩曲 Op.43」

 

③ 武岡 早紀さん(東京芸術大学4年)

 演奏曲「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番 Op.18」

 

④ 上田 実季さん(東京芸術大学4年)

 演奏曲「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 Op.58」

 

 大学名を見ると、やはり東京芸大強いですね。実は古海さんの在籍する昭和音楽大学も、ピアノアートアカデミーというピアノ演奏家育成事業をやっているので、ピティナの決勝には常連です。東大の方もいらっしゃいますけど、準決勝には名古屋大学医学部の方もいたので、やはりピアノと人間の処理能力とは相関関係にあるのでしょう。

 

  私はこのような本格的なコンクールを観にいったのは初めてでした。開始直後は、自分がピアノを弾くこともあって、技術的なところに目が行きがちでしたし、コンクールの見方もよくわかりませんでした。でも、2人目、3人目と進むにつれて、コンクールの楽しみ方がだんだんわかってきました。

 

 コンクールで最も楽しいと感じたのは、当たり前のことかもしれませんが出場者の方々の「違い」を見出すことです。伝統あるコンクールの決勝ともなれば、皆さん技術的に優れているのはある意味前提条件です。なので、ただ「すげえ!指まわりすぎ!!」みたいに技術的なところにばかり目をやってもそんなに大差はないのではないかと思います。

 

 一方で、このレベルになってくると、自然と違いが際立ってしまうものがあります。それはやはり、音の質や伝わってくるイメージといった感覚に訴えてくる部分です。例えば、同じ部分を弾いていても、「水の流れを感じている」ように聞こえる場合もあれば、「氷の洞窟の中を歩いている」ようなイメージが流れてくる場合もあります。

 

 同じ「ピアノ」というものを演奏しているにもかかわらず、不思議なくらい伝わってくるイメージが違います。今から順番はちょっと変えて、それぞれどんなふうに感じたかを試しに書いてみます。

 

 Aさんの演奏は、「キラキラした宝石のような」演奏でした。音がとってもキラキラしていて、特に高音部はいろいろな種類の宝石が光を放っているようなイメージが頭の中に流れてきました。すごく耳がいいんでしょう。タッチがものすごく耳に心地いいんです。まさしくのだめカンタービレの「のだめ」のようなイメージです。どちらかというとソロの演奏をもっと聞いてみたいなと思いました。リサイタルとかしたら絶対ウケると思います。

 

 Bさんの演奏は、「オーケストラに負けない」演奏に聞こえました。音がすごく力強かっただけではなく、一音一音をとてもクリアに弾き分けているんです。一つひとつの音がそれぞれ独立して俺はここにいるんだー!!って主張しているようなイメージです。

 

 Cさんの演奏は、「楽譜の音符が外に出てきた」ような演奏でした。ピアニッシモやスタッカートの記号がそのまま外に飛び出してきたような印象で、今楽譜はきっとこんな風に表現しているんだろうなとイメージできてしまうほどにいろいろな技術がきっちり弾き分けられていました。ピアノの森に出てくる雨宮修平君のようなイメージです。

 

 そして最後はDさんです。私は、Dさんの演奏が最も好きでした。Dさんの演奏は一言でいえば「Beyond legatissimo」です。演奏する音は、隣の音とどのくらい重なっていたりどのくらい離れているかによってぜんぜん違う印象を与えますが、Dさんの出す音は、隣り合う音同士がまるで恋人であるかのようにくっついていて、まるでひとつのかたまりであるかのように錯覚してしまうほどでした。もはやlegatissimoを超えてしまっています。

 また、私はピアノのやや後方の演奏者の指がとてもよく見える位置から見ていたのですが、彼女の手の動きには全くと言っていいほど無駄がありませんでした。他の方の演奏では、難所を演奏しているときには筋肉が躍動しているのが伝わってくるんですが、彼女の手はその逆で、驚くほど力の入っていないように見え、魚が水の中を泳いだり、鳥が空を飛んだりするのと同じように、ごく自然に鍵盤の上を渡り歩いていました。いや、もはや滑走していました。その動きがあまりにも流麗すぎて見入ってしまい、いつのまにか観客やオーケストラなどが視界から消え、演奏者の動きだけしか視界に入っていなかったという不思議な感覚を味わう体験をしてしまうほどでした。

 さらに、意図的なものかそうでないものかはわかりませんが、ひとつの小節やフレーズなどのかたまりごとにものすごく自然な強弱がついていて、「拍」の間隔を驚くほど鮮明に感じました。Aさんのように一つひとつのキラキラした音が主張するのではなく、一つひとつの「かたまり」の中にストーリーがあるようなイメージです。それがこの上ないほど心地よく感じられました。

 ところが、トレモロになると様相が全く異なります。それまでは音と音との切れ目が全くわからないほど滑らかであったのに、トレモロになった瞬間音の一つひとつが確かな個体となって他の一音一音と全く別の存在として弾き分けられていました。一変して一音一音が自己主張しているようなイメージでした。それまでのlegattisimoを超えた旋律とのコントラストが心地よく、互いの魅力を引き立て合っているように感じました。

 加えて、Dさんの奏でる音はオーケストラの音と音色が近く、それぞれが溶け合っているようにさえ感じました。他の方の演奏は、どこか「オーケストラに負けていない」演奏や、「オーケストラと対峙してもなお際立つ音の粒」といった印象を受けましたが、彼女は全然印象が違いました。完全に私の感覚ですが、低音でも高音でもオーケストラの出す音と調和する音で、オーケストラと一体化して一つの音楽を形成しているように感じられました。

 

 私は、ピアノはまだ全然弾けないので技術的なことはわからないですし、専門家の方々がどのような観点で審査しているのはわかりません。ただひとつ言えることは、私はDさんの演奏が心の底から好きだということです。コンクールを初めて聞きに行ってみて、それぞれの演奏家の演奏に違いを見出そうとしながら聞くことによってはじめて、自分はどのような演奏が好きなのかを感じることができたのだと思います。

 私は、滑らかでフレーズなどが「固まり」としてきれいで一つの物語を持っているような演奏が好きなのかもしれません。そういえば、自分のピアノレッスンのときにも、普通の曲をlegatoに弾こうとしすぎて逆に注意されてましたし。

 

 このように、コンクールに参加するということは、各演奏家の音楽性の「違い」を意識することであり、「違い」を意識することによって自分のがどのような演奏が好きなのかを相対的に感じることができるのです。皆さんも機会があればぜひコンクールを観て、様々な音楽の「違い」とその違いから生じる自分の「感情」を堪能してみてください。

ミュージカルを本で知ろうと思ったら

先日大学ミュージカルを見に行ってミュージカルに魅せられて以来、ミュージカル熱が高まっています。
 
今回はミュージカルについてもっと知りたいと思い読んだ、石原 隆司「ミュージカル入門」(ヤマハミュージックエンタテインメント)の内容について簡単にご紹介したいと思います。
 
内容はミュージカルの総合入門書といった趣で、ミュージカルの作品紹介だけでなく、ビジネスとしてどうなのか、どんな人が関わっているのか、どんなテクニックが使われているのかなど、様々な角度からミュージカルを紹介してくれています。参考までに、目次の章立ては以下のようになっています。
 
第1章 ミュージカルってなに?
第2章 俳優たちの舞台、楽屋と日常
第3章 製作の現場をのぞく
第4章 ビジネスの舞台裏
第5章 劇場をめぐるあれこれ
第6章 映画とミュージカル
第7章 楽しく見せる技
第8章 おすすめ30選
 
各項目について、基本的には本場アメリカのブロードウェイとロンドン、日本との対比がなされています。そのため、世界のミュージカル事情を踏まえた日本のミュージカル事情を知ることができます。
 
入門書として、幻冬舎の「知識ゼロからのミュージカル入門」も読みましたが、そちらは紙面のほとんどが作品紹介に割かれています。
 
そのため、ミュージカル鑑賞者として豊富なイラストなどを見ながら様々な作品の概要をつかみたいなら「知識ゼロからのミュージカル入門」が、ミュージカルをやる側にも興味があるのであればヤマハの「ミュージカル入門」が適していると私は思います。
 
蛇足ですが、音楽関係の本を読んでいるとヤマハが出している入門本に行き当たることが多いですが、ヤマハ本はコンパクトかつ全体的なエッセンスが詰まっていてわかりやすく、ハズレもあまりないのですごく重宝しています。
 

演奏会アルバム① 東京交響楽団【名曲全集 第136回】

 ごきげんようYAMAHAです。

 

 今回は「演奏会アルバム」と題しましたが、本シリーズでは題名からも推測できる通り、コンサートを鑑賞した感想などを書いていきたいと思います。

 

 私の母は国立音楽大学卒のピアノ講師で、幼い頃から母の奏でるクラシック音楽を聴いて育ってきました。大学で一人暮らしをするようになってからはしばらく音楽から離れていましたが、社会人になってからはしばしばクラシックコンサートを聞きに行くようになりました。

 

 現在は川崎市に拠点を移し、昭和音楽大学ミューザ川崎などで行われるコンサートを鑑賞するのが、週末の楽しみになっています。

 

 コンサートに行くと、心が洗われるような感覚を味わえるだけでなく、ふとした時にこれまでパズルのピースだったものがつながることがあります。「あー、感動したなぁ」で終わりにしてしまっては、その時気づいたことや感じたことを正確に心にとどめておくことができません。

 

 せっかくブログを書いているので、音楽に触れた時の素直な気持ちを言葉にして、将来ふと懐かしくなった時に思い出せるよう記録し、また、二度と同じものが再現されることがなくても確かにその時生まれた音楽を、読者の皆さんにも共有していきたいと思っています。

 

 

 前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に入ろうと思います。今回取り上げるのは、ミューザ川崎シンフォニーホールで開催された、東京交響楽団の「名曲全集 第136回」です。

 

 東京交響楽団は、1946年より続く歴史のあるオーケストラです。まだ出会ってから日は浅いですが、私にとっては少し思い入れのあるオーケストラです。

 

 その理由は、指揮者の堀俊輔さんが同団で長年活躍なさっていたからです。堀さんは、実は30歳で東京芸術大学に入学して音楽を本格的に学び、その後活躍の舞台を世界にまで広げているスゴ腕の指揮者です。

 

 堀さんは私にとって、音楽に関するロールモデルです。私自身、音楽活動に本格的に打ち込み始めたのはちょうど30歳になってからです。始めるのが遅すぎたのではないか、今さら音楽に打ち込んでもどうにもならないのではないかという気持ちが、常につきまとってきます。

 

 そのような不安を拭いされないでいた時に、堀さんに関する本に出会い、勇気をもらいました。ミドルエイジから本格的に音楽を始めても成功している人もいるんだ、と。本題ではないので詳細は割愛しますが、ご興味のある方は是非 堀俊輔「こんな僕でも指揮者になれた」をご一読ください。

 

 

 コンサートの話に戻りますが、今回参加してきたコンサートの概要は、以下の通りです。

演 奏:東京交響楽団

講演名:名曲全集 第136回

日 時:2018年4月22日 (日)

会 場:ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮者:ジョナサン・ノット

曲 目:ロッシーニ 歌劇「絹のはしご」序曲

    ロッシーニ ファゴット協奏曲

     ※ファゴット:福井 蔵(東京交響楽団首席奏者)

    シューベルト 交響曲 第6番 ハ長調

 

  私が今回のコンサートに行こうと思った最も大きな理由は、ロッシーニの「絹のはしご」が演目に名を連ねていたからです。

 

 私が小学生か中学生の頃、音楽講師の母は電子オルガンの合奏で「絹のはしご」を指導していました。母は曲の解釈を深めるため、また、指導用の音源をつくるために、家で何度も「絹のはしご」を弾いていました。

 

 その時はまだ、音楽への安心も薄かったこともあり、強い思い入れはありませんでした。しかしながら、成人してから改めてクラシック名曲100選で「絹のはしご」を聞いたときに、この曲の持つ、最初から最後まで飽きることのないドラマティックなメロディと、弦も管楽器もそれぞれが主役となってお互いを支え合いながらつくり上げる重層的なハーモニーに、心が震えました。それ以来、「絹のはしご」は私にとって最愛のクラシック音楽のひとつとなりました。以下に私のお気に入りの「絹のはしご」の動画リンクを貼っておきます。

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=MpZM5ZZrSEQ

 

 ただ、「絹のはしご」はベートーベンやチャイコフスキーなどの残したメジャーな曲と比較して、演奏される頻度はあまり多くありません。そのため、福岡県から神奈川県に引っ越してすぐに、川崎市内で「絹のはしご」が演奏されることを知った瞬間に、迷うことなくチケットを購入していました。

 

 そして、コンサート会場で生で聞いた「絹のはしご」は、周波数が不自然なほど高い木管楽器やための短さなど独特の演奏ではありましたが、それでも私の語彙力では表現しきれないほど素晴らしいものでした。自然と目から汗が流れ出たのは、言うまでもありません。

 

 

 

 加えて、私が興味深いと感じたのは、プログラムの選曲でした。ロッシーニの「絹のはしご」、ロッシーニの「ファゴット協奏曲」と続いた後に、シューベルトの「交響曲 第6番」が配置されていたのです。私は、なぜロッシーニを2曲続けた後にシューベルトの曲を持ってきたのだろうと疑問に思っていました。そして、その答えはパンフレットの「曲目解説」の中にありました。以下は、パンフレットからの引用です。

 

ロッシーニ:歌劇「絹のはしご」序曲】

 ジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868)は、1810年に初めてオペラを上演してから、1829年に最後のオペラ「ウィリアム・テル」を初演するまで、40作近くのオペラを創作したイタリア・オペラの作曲家です。

 ロッシーニが20歳の年の1812年には6作のオペラを初演しますが、その1作が「絹のはしご」です。

――――――――――――中略――――――――――――

ロッシーニ:【ファゴット協奏曲】】

  ロッシーニは76年の人生を送りますが、37歳で発表した「ウィリアム・テル」を最後にオペラの作曲から引退してしまいます。その後、料理研究に力を注いだことは良く知られていますが、音楽の仕事もしており、オペラ以外の作品を作曲することもありました。ファゴット協奏曲は、そんなオペラ作曲引退後に作曲された1曲です。ロッシーニが名誉顧問を務めていたボローニャ音楽学校の学生ナツァレーノ・ガッティ(1822~93)の最終試験のために書いた作品と考えられています。ガッティが死去した歳の新聞記事などには、ロッシーニが彼に「試験のための協奏曲」を作曲したと書かれているものの、楽譜が見つからず幻の作品でした。ところが1990年代後半に、マントヴァ近郊の町オスティーリアの図書館が所蔵する写本コレクションの中から、ロッシーニの名が記されたファゴット協奏曲の楽譜が見つかったのです。ロッシーニの自筆ではなく筆写譜ですが、これがガッティのための協奏曲だとみなされ、現在、世界のファゴット奏者の新しいレパートリーとなりつつあります。

――――――――――――中略――――――――――――ー

シューベルト交響曲 第6番 ハ長調 D.589】

 ロッシーニのオペラはイタリアの地域のみならず、ヨーロッパ全土で人気となりました。ウィーンもそうです。モーツァルトがイタリア語でオペラを書いたように、ウィーンはもともとイタリア音楽、イタリア人音楽家を好む街でしたが、1816年秋にイタリアのオペラ団がやってきてロッシーニのオペラを初上演するとたちまちブームとなり、1822年にロッシーニ本人がウィーンを訪れ「ロッシーニ・フェスティバル」が開催されると大フィーバーが巻き起こりました。ロッシーニのあまりの人気にベートーヴェンさえ拗ねてしまい、「第九」の初演はウィーンではなくベルリンでやろうかと考えるほど、ウィーン中がロッシーニに夢中でした

 そんなウィーンで、宮廷楽長アントニオ・サリエリ(彼もイタリア人)のもと1816年まで作曲を学んだフランツ・シューベルト(1797~1828)も、ロッシーニのオペラ「タンクレディ」を観て感銘を受けました。その余韻のなかで作曲した作品が、交響曲第6番です。1817年10月から1818年2月にかけて作曲に取り組みますが、途中の11月にはロッシーニ風の「イタリア風序曲」を2曲も作曲するほど、ロッシーニに魅せらていた時期に書かれた交響曲です。当時シューベルトは20歳~21歳。彼が崇拝していた作曲家はもちろんベートーヴェンであり、交響曲にはベートーヴェンの影響が強く見られますが、第6番はロッシーニの香りも漂ってきます。イタリア風シューベルトの音楽をお楽しみください

 

 以上から、ロッシーニがオペラ作曲家として初期に残した作品から始まり、次にロッシーニが晩年に教育者として学生のために書き下ろした作品が続き、最後はロッシーニの楽曲が大きな影響を与えた次世代作曲家の「ロッシーニ風音楽」で締めくくられるプログラムである、と解釈することができます。「連綿と受け継がれるロッシーニの記録」とでも題せましょうか。

 

 私は、好きな作曲家は誰かと聞かれたら真っ先にロッシーニが出てくるので、前半のプログラムを楽しめたのは言うまでもありません。ただ、いい意味で予想外だったのは、シューベルトの曲には馴染みがなかったにもかかわらず、終始楽しく聞くことができたこととです。実際に聞いてみると、確かに「ロッシーニの香りがする」音楽で、冗長な部分がない飽きのこない心地の良いメロディでした。

 

 そんなわけで、今回の「名曲全集」は、大好きなロッシーニの楽曲を堪能できただけでなく、ロッシーニにまつわる新たな側面を発見できた意義深いコンサートでした。

 

 東京交響楽団川崎市と提携しておりアクセスしやすいため、これからもタイミングが合えば演奏を聞きに行こうと思います。また、今後参加する演奏会についても、本ブログで言葉にして皆さんに共有していこうと思いますので、引き続きお読みいただければ幸いです。

 

 ここまでお読みいただきありがとうございました!!